DX(デジタルトランスフォーメーション/以下:DX)とは、「デジタル技術とデータを活用し、既存のモノやコトを変革させ、新たな価値創出で人々の生活をより良くする」ことです。
現在内閣府が取り組んでいる【ムーンショット型研究開発制度(ムーンショット目標)】は、「社会・環境・経済」の3つを軸に、人々の生活そのものをDXさせていく取り組みと言って良いでしょう。
これまで3回にわたってムーンショット目標について解説してきた本シリーズですが、最終回となる今回は「経済」分野を取り上げます。
日本経済が抱える課題と、その課題解決に密接に関わるムーンショット目標について理解を深め、日本政府が目指す「未来」を覗き見ることで、日本企業が進むべき道が見えてくるはずです。
目次
日本政府が目指す未来|経済編
内閣府が主導するムーンショット型研究開発制度では、日本社会が抱える諸課題を解決するための目標として、具体的に9つの目標(ムーンショット目標)が設定されています。
この9つの目標を達成することを通じて、政府が改善・向上させようとしているのは、大別すると「社会・環境・経済」という、人間が生活するための基盤となる3つの領域です。
これまで当サイトでは「社会」と「環境」について取り上げてきましたが、社会と環境をどれだけ改善したところで、今回のテーマである「経済」の発展がない限り、日本の未来はありません。
3つの軸は相互に関連し合っているため、いずれかを抜きにしたムーンショット目標の達成はあり得ないのです。
まずはムーンショット目標の詳細について解説する前に、現在の日本において経済領域で特に問題となっている課題について整理します。
人口減少と高齢化による労働力不足や社会保障費の増加
日本は、世界で最も人口減少と高齢化が進んでいる国の1つです。
2023年3月20日に公表された総務省統計局のデータ(上図)でも、日本の総人口は1億2449万人で、毎年減り続けていることが明らかです
また、65歳以上の高齢者の割合も2022年9月15日現在29.1%であり、1950年以降一貫して上昇が続いていることが分かります。
この人口減少と高齢化は今後も続くと予想されており、日本経済に深刻な影響を及ぼしているのです。
労働力不足は、産業やサービスの生産性や品質を低下させ、経済成長を阻害していますし、社会保障費は年々増加し、国の歳出のうち最も多くの割合を占め、国家財政を圧迫しています。
国際競争力の低下やイノベーションの停滞
日本は、かつて世界の経済大国として名を馳せましたが、近年では国際競争力が低下しています。
スイスのローザンヌに拠点を置くビジネススクール「IMD(国際経営開発研究所)」が毎年発表する「世界競争力ランキング」を見ても、その傾向は明らかです。
日本は、1989年から1992年までランキング1位をマークし、その後、トップの座は明け渡しましたが、それでも1996年までは5位以内をキープしていました。
しかし、1997年からは順位を落とし、最新の2022年の順位は過去最低の34位に甘んじています。
この結果を生み出しているのは、コロナ禍の影響や金融危機、アジア諸国の台頭など、様々な要因が考えられますが、最も大きく、また致命的なのがDX推進の遅れによるものでしょう。
これにより、ビジネスの効率性の観点で、他国に引き離されてしまったのです。
国際競争力の低下やイノベーションの停滞は、日本経済に悪影響を与え、新たな産業や市場が創出されず、経済成長が鈍化するという悪循環を生み出しています。
グローバル化やデジタル化が進む中で、日本がこの状態を脱することができなければ、他国から大きく取り残される危険性が高まっているのです。
地球温暖化や資源枯渇などの環境問題
日本は、世界で最も自然災害の危機に晒されている国の1つです。
地理的な要因もあり、地震や津波、台風や豪雨などの災害が頻発し、人命や財産に大きな被害をもたらしています。
これらの災害は、地球温暖化や気候変動によって、さらに激化する可能性があるということは想像に難くありません。
さらに、日本はエネルギーや食料などほとんどの資源を海外からの輸入に頼っている、資源に乏しい国でもあります。
しかし、世界の人口増加や経済成長に伴って、世界中で資源の需要が高まり、それにより価格も高騰しています。
世界規模で見れば、資源や食料の供給の安定性や安全性は現在進行形で低下している状況にあるといえます。
この環境問題は、日本経済に危機をもたらしています。災害による復旧費用や経済活動の停滞は、国家財政や経済成長に重荷となっています。また、資源の不足や高騰は、産業や生活に影響を与えています。
ムーンショット目標6
ムーンショット目標6は、「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」というものです。
目標6に関するエリア(Area)とビジョン(Vision)は下記の通りです。
- Area:サイエンスとテクノロジーでフロンティアを開拓する
- Vision:未踏空間の可視化(量子から地球まで)
ムーンショット目標6の狙い
日本が再び国際社会で競争力を持つためには、日本の強みであった物理学や材料科学などの基礎科学の分野を起点に、日本の科学技術力を高めるための施策に国家レベルで取り組むことが重要です。
ムーンショット目標6は、現在のコンピュータでは解けないような難問を解くことができる新しいコンピュータを開発することを目指しています。
量子力学の法則を利用して、膨大な情報を高速かつ正確に処理できるコンピュータを作りだすことによって、量子センサー、量子通信・暗号等の量子技術と、従来の情報技術と組み合わせて、量子技術によるまったく新しい社会の到来を期待しているのです。
同じく内閣府が目指す未来社会構想「Society5.0」の実現に向けて、コンピュータやディープラーニングとの組み合わせで、2050年までに経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる、大規模で多用途な量子コンピュータの実現を目指しています。
誤り耐性型汎用量子コンピュータ
ムーンショット目標6で内閣府が掲げる「誤り耐性型汎用量子コンピュータ」とは、「ノイズによる量子ビットの誤りを自動的に訂正する高精度のコンピュータ」を指しています。
コンピュータの性能はこの半世紀で大きく進歩してきましたが、現在の技術の延長線上では、これ以上の画期的なイノベーションは起こせないと考えられています。
そこで、従来のコンピュータとはまったく異なる原理に基づいた、現実的な時間で重要な計算タスクを実行可能な量子コンピュータの開発が、世界中で進められています。
量子コンピュータは、現在のコンピュータでは不可能な計算能力や応用範囲を持ち、経済や社会の様々な分野に革命を起こす可能性があるのです。
日本が世界に先駆けて「誤り耐性型汎用量子コンピュータ」を開発することに成功すれば、エネルギー分野や材料分野、あるいは医療や健康管理の分野においても一歩リードできることは間違いなく、圧倒的な国際競争力を取り戻すことにも繋がるでしょう。
目指す社会像
「誤り耐性型汎用量子コンピュータ」の開発に成功すれば、様々な分野で革新を生み出し、Society5.0にむけてのパラダイムシフトや、既存の社会システムそのものを変革することもできるでしょう。
実現可能と考えられる分野は、多岐にわたっています。
- 医療分野:革新的な医療と健康管理を生み出し、デジタル情報時代の安全とセキュリティを確保する
- 創薬分野:より大きな分子系における量子化学シミュレーションによる新薬の発見を促進し、合理化されたワークフローによってコストを削減する
- 材料開発分野:高精度量子化学計算による窒素固定法や高効率人口合成法の原理を解明し、地球温暖化への対策を加速させる
- 大規模シミュレーションとAIによる天気予報の精度向上や、災害の早期警報などにより災害被害を最小限に抑える
ムーンショット目標4と8
地球温暖化や資源枯渇などの環境問題も、経済活動の根幹を脅かす重大な問題です。
この分野に関わる目標は、主に目標4と目標8があります。
それぞれの概要は、次の通りです。
ムーンショット目標4
ムーンショット目標4は、「2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現」です。
- Area :「地球環境を回復させながら都市文明を発展させる」
- Vision :「資源の完全循環」、「資源要求の劇的削減」
この目標の狙いのうち最も重要なものは、温室効果ガスの削減です。
パリ協定で掲げられた「2℃目標」と各国の約束草案があるものの、これらの目標と現在の対策状況には大きな乖離があります。
また、海洋プラスチックごみも海の生態系に大きな悪影響を与えており、食物連鎖を通じた人類への影響も懸念されています。
「温室効果ガスや環境汚染物質を削減する新たな資源循環の実現により、人間の生産や消費活動を継続しつつ、現在進行している地球温暖化問題と環境汚染問題を解決し、地球環境を再生する」ことを目指すムーンショット目標4では、日本中の研究機関や有識者たちが関わり、未来の地球を守る活動を続けているのです。
ムーンショット目標8
ムーンショット目標8は、「2050年までに、激甚化しつつある台風や豪雨を制御し極端風水害の脅威から解放された安全安心な社会を実現」です。
- Area :「サイエンスとテクノロジーでフロンティアを開拓する」、「地球環境を回復させながら都市文明を発展させる」
- Vision :「ミレニアム・チャレンジ」
地球温暖化の進行等により、台風や豪雨などによる極端風水害が激甚化・増加しており、それは日本も対岸の火事ではいられない重要な課題です。
こうした気象災害への取り組みは、構造物等による被害抑止や、災害発生前の準備や発生時の早期警報発出等による被害軽減も重要ですが、先の目標6で研究されている「誤り耐性型汎用量子コンピュータ」の開発も望まれます。
近年、観測技術や気象モデル、計算機分野においての技術や性能が大幅に向上したことで、シミュレーション制度が飛躍的に高まり、気象現象の制御に大きな進歩がみられ、それは「誤り耐性型汎用量子コンピュータ」などの開発によって、さらに大きな飛躍が期待されているのです。
地球環境再生が日本経済に与えるインパクト
環境問題に対処することは、災害や資源の不足などによるリスクやコストを低減することに繋がります。
例えば、再生可能エネルギーの導入は、化石燃料の輸入やCO2の排出権購入などのコストを削減するだけでなく、エネルギー安全保障や電力供給の安定性を向上させることができるでしょう。
それだけでなく、グリーンイノベーションやグリーンファイナンスなどの新たな産業や市場を創出することにも繋がります。
水素エネルギーやカーボンリサイクルなどの先端技術は、新たなエネルギー源や材料として高い需要や価値を持つ可能性があるでしょうし、グリーンボンドやESG投資*などのグリーンファイナンスは、環境に配慮した事業やプロジェクトに資金を供給し、社会的な価値を創出する可能性を持っています。
こうした需要は、取り組む企業にとっては大きなチャンスとなりうるのでしょう。
さらに、日本は、省エネルギーや廃棄物処理などの分野で高い技術力を持っており、これらの技術は、途上国や新興国などの市場で大きな需要を生み出します。
また、日本の強みである、気象観測衛星や気候変動モデル分野に関する膨大なデータは、気候変動対策や災害予防などの分野で貢献できる産業を生み出すこともできるでしょう。
このように、ムーンショット目標4や8で研究されている施策が実現すれば、日本経済にも大きなインパクトが期待できるはずです。
*ESG投資:ESGは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字を取り、投資先の価値を図る材料として、キャッシュフローや利益率などの定量的な財務情報ではなく、非財務情報であるESGの要素を考慮する投資を指す
目指す社会像
ムーンショット目標4と8が実現した社会では、人間と自然が調和し、持続可能な発展が可能な社会になるでしょう。
- 地球全体の環境データがリアルタイムで可視化され、最適な環境保全策が提案・実行される
- 人工知能やロボットなどの先端技術が、環境データの収集・分析・活用に活躍し、人間の負担を軽減する
- 地球温暖化や生物多様性の低下などの問題が解決され、自然の回復力が高まる
- グリーンイノベーションやグリーンファイナンスなどの新たな産業や市場が創出され、日本経済が成長する
- 日本が世界に先駆けて地球環境再生に取り組み、国際社会のリーダーシップや信頼、国際競争力を獲得する
まとめ~ムーンショット目標で導かれる日本の未来
全4回にわたって、【ムーンショット型研究開発制度(ムーンショット目標)】における「社会・環境・経済」の3つの領域について解説してまいりました。
「人の感性や倫理観を共有できるAIロボットと人とが共に成長し、豊かな暮らしが実現した社会」や「地球温暖化問題と環境汚染問題を解決し、地球環境を再生する」は、人類の未来のために達成しなければならない目標です。
また、そうした社会的・環境的な課題を解決するためには、経済発展も欠かせません。
「経済発展と社会的課題の解決の両立を目指す」という「Society5.0」の理念にも示されているように、どちらか片方だけではこれから先の未来を現実的に描いていくことはできないのです。
しかし、それらの目標は、どれだけ内閣府が声高に叫んだとしても、政府の力だけで実現できるものではありません。
この壮大な目標を実現するには、政府や企業、国民1人ひとりが、こうした未来を目指して取り組んでいくことが求められています。
「必要なモノやサービスを、必要な人に、必要なときに、必要なだけ」提供する「人間中心の社会」。それこそが、ムーンショット目標で導かれる日本の未来像です。
企業が、そして我々1人ひとりが、「今なにができるか?」を考え、積極的に未来に向けて「今を革新する」ことこそが、豊かな日本の未来を創り出していくのではないでしょうか。