DX(デジタルトランスフォーメーション/以下:DX)という言葉の認知度が高まって来たものの、一過性のブームのように捉えられてしまっている日本。残念ながら、多くの企業ではDXをどのように捉え、推進していけばい良いのかすら理解されておらず、「DX推進」はお題目になっているのが日本社会全体の現状です。社会全体でDX化を成し遂げるためには、DXについての理解を深めることが不可欠です。
そこで本シリーズでは、DX推進を成功させデジタル企業として活躍する国内外の企業にスポットをあて、その歴史と共にDXの歩みを読み解いていきます。
USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)や西武園ゆうえんち再生の立役者であり、2022年3月には沖縄県のブランド強化に関する連携協定を締結した株式会社「刀」。
同社は企業のマーケティング分野において現代日本で最も実績のある企業であり、その代表取締役CEOである森岡毅氏はこの分野のトップランナーの1人と言って良いでしょう。
今をときめく「刀」も、最初は「マーケティングで日本を元気にしたい」という夢を掲げるだけの、小さなスタートアップ企業でした。当然実績もなく、創業当初から順風満帆だったわけではありません。
しかし、森岡氏を含めてわずか12人で始まった「刀」は、スタート当初の苦難を乗り越え、今や日本で最も有名なマーケティング集団としてその名を轟かせているのです。「刀」の目覚ましい成長と成功はどのように成し遂げられたのでしょうか。
『DX企業解剖』の第2回目は、DX推進を試みる上でも欠かせない「企業マーケティング」で成功を収め続ける精鋭集団「刀」に焦点をあてていきましょう。
目次
12名の戦士で小さなスタートアップ
業界内では既に存在感を示していたものの、一般にはまだまだ無名であった森岡毅氏の名前を一躍有名にしたのは、何といってもUSJの立て直しでしょう。彼がP&Gを退社してUSJに入社したのは2010年のことでした。入社直後からUSJの大改革を断行した森岡氏。彼の在籍時代にUSJはTDL(東京ディズニーランド)、TDS(東京ディズニーシー)の集客数を抜き、日本一のテーマパークとなりました。
6年間のUSJ在籍時代で経営再建の使命を果たした氏は、USJを退社。その後、「マーケティングとエンターテイメントで日本を元気に」という目標を掲げて、2017年10月18日に11人のメンバーと共に小さなスタートアップ企業として「株式会社刀」を創業しました。
そんな「刀」も、創業当初から順風満帆だったわけではありません。
森岡氏曰く、スタート時のメンバーは誰もが「仮に起業が失敗しても、自分の力でちゃんと稼いで生きていけるだけの極めて強力な市場価値を持った」11人だったそうです。
森岡氏を含め、確かな能力と強い思いを持った12人で船出した「刀」ですが、創業当時は従業員の給料すらまともに払えず、ちゃんとしたオフィスすら無い状態でした。
そんな中、森岡氏は自身が100%持っていた株の半分以上を11名のメンバーに分けることを決断します。これはメンバーが結束すれば、森岡氏をいつでも解任できる構造を自ら作り出したという事を意味します。当時は、設立当時の「刀」の株式の市場価値はほぼなかったとはいえ、創始者が自らの意思で従業員に50%以上の株を渡すというのは、一般企業の常識に当てはめればあり得ない出来事です。
しかし、全員が刀の株を保有しているということは、全員が単なる従業員ではなく「資本家」になったことを意味しています。この選択が結果的にメンバー全員のエネルギーと情熱の量を押し上げ、「刀」躍動の起爆剤となりました。
いくら実績のある森岡氏が立ち上げたとはいえ、企業としては実績もなかった「刀」の価値を高めることは、すなわち全メンバーが保有する株式の価値を高めることでもあったのです。森岡氏は、このことを通じてメンバーへの信頼と「一緒に会社を盛り上げてほしい」という意思を明確に示しました。
当DXportal®でも、DX推進を成功に導くカギとして「トップのコミットメント」と「全従業員の理解」の2つの重要性を繰り返し発信してきていますが、「刀」は創業メンバー全員が「経営の当事者」となることによって、このDX成功のカギとなる2つの課題をあっさりとクリアしてしまったのです。
目先の事象にとらわれず初志貫徹
DX推進やマーケティング支援に限らず、どれだけシンプルなものであったとしても、新たな事業が軌道に乗るまでは最低でも1年程度はかかるものです。企業としての実績や知名度のないところから、顧客の信頼を勝ち取っていくことは一足飛びにはできません。
優秀なメンバーが集まっていたとはいえ、立ち上げ当初の「刀」もその例外ではありませんでした。創業から半年間は、いくつか商談は始まっていたものの正式な契約までにはタイムラグがあり、その間はまともな売上が立たない状態が続いていました。その一方で経費がキャッシュアウトしていくばかり。つまり、会社の財政状態は危機的な状況にあったのです。
そんな状態だった「刀」にとって、大きな分岐点となる重大な決断があったと森岡氏は語っています。それは、ある企業と協業で進めていたプロジェクトについて、先方から突然中止を持ち出された時の事でした。先方は中止の判断をした事情を説明した上で、これまでの謝礼として1,000万円を提示しました。
このプロジェクトは協働で実施していたため、刀はマーケティングの請け負い業者としてその企業から依頼を受けていたわけではありません。とはいえ、前述のように、給与すらまともに支払えないほどキャッシュフローに困っている状況であれば、中止となるプロジェクトに対して「刀」のメンバーが行ってきた業務に対する謝礼として、1,000万円を受け取るのは当たり前のことのように思えます。しかし、なんと森岡氏はそれを断ったのです。
謝礼を断った理由は、「これまで対等のパートナーだと思ってプロジェクトを進めていた。このお金を受け取ったら『刀』が『刀』ではなく、単なる業者になってしまう。」というものでした。
「マグロ漁師がマグロを釣れないからと言って他の魚を釣りだしたら、もうマグロ漁師ではなくなってしまう。それでも世の中に貢献は出来るが、我々はブリやハマチを釣るために漁師になったのではない。世の中に対して真にエポックメーキングとなり、その成功が誰かの有機や地方再生、未来の日本の『何か』の大きな意味につながる、そんな大きなプロジェクトに集中したい。」
参考:DIAMOND online/「最初の半年間は給料も払えなかった」森岡毅が語る刀起業の真実(1)より一部抜粋
この言葉には、「刀」と森岡氏の並々ならぬ決意が感じられます。目先の1,000万円のために企業を立ち上げたときの強い思いを犠牲にすることはできないというこの判断があったことで、「刀」は既存のマーケティング会社とは一線を画す現在の地位にまで上り詰めることができたのです。
このことは、目の前にある事象に一喜一憂してしまうのではなく、中長期的な視点やビジョンで先を見据えることの重要性を、改めて教えてくれるのではないでしょうか。
日本企業が持つべき武器「刀=マーケティング」
「刀」はマーケティングの精鋭集団ではありますが、多くの同業他社とは異なり「戦略部分だけを売る」という手段を取っていません。
同社のメンバーは全員が実務者であり、いわゆるコンサルタントではないと言います。実務家の集団であるということこそが「刀」の最大の強みです。
そもそも外部のコンサルタントに経営戦略のアドバイスやDX推進のサポートを求める企業は、多くの場合においてそれを自社で実行するためのノウハウやリソースを持っていません。
言い換えれば、コンサルタントのアドバイスを得たところで、そのプランを適切に実行していくための社内リソースがないケースが多いということです。
そこで、刀は「売りやすい」ノウハウを提供するだけでなく、実行のフェーズも企業と共に行うことで、「マーケティング」という実態のないモノを取引先企業にしっかりと根付かせる方法を取っています。
刀のメンバーは「これからの日本企業が持つべき武器はマーケティングである」と確信していると言います。そして、相手先企業にマーケティングのノウハウを「売る」のではなく、「移管」する事により「日本に1つでも多くのマーケティングが出来る会社を増やす」ことこそが「刀」の使命だと森岡氏は語っています。
「刀」はこの使命を果たすために事業を展開しています。だからこそ、継続的な「刀」のサポートを必要とせず、その企業がマーケティングを武器にビジネス社会で成長を持続できるように、移植可能な「森岡メソッド」として体系化したマーケティングノウハウが、「刀」の商品なのです。
「少しでも多くの日本企業が、世界と戦うための武器を手に出来るように」かつて日本人の武器であった『刀』を社名とした同社の思いを、まさに同社の商品が体現しています。