創業以来「顧客中心主義」を貫き、今や知らぬ人がいないほど世界で名を馳(は)せているショッピングマーケット【Amazon】。そのAmazonを運営するのが、米国アマゾン・ドット・コム(Amazon.com)社の創業者にして、現・会長がジェフ・ベゾスです。2022年にイーロン・マスクに抜かれるまでは米フォーブス誌が発表する長者番付で、4年連続の1位の座に君臨していた世界有数の資産家としても知られています。
世界最大級のECモール【Amazon】や世界一のシェア(2021年第4四半期実績/Synergy Research調べ)を誇るクラウドインフラ【AWS】といった世界的な巨大事業を擁するアマゾン・ドット・コム社を、1代で作り上げるという偉業を成し遂げたジェフ・ベゾスは、稀代の企業家としての名声をほしいままにしています。しかし、その反面「冷酷な経営者」あるいは「極度の倹約家」など、マイナスのイメージを持っている人も少なくありません。
そんなジェフ・ベゾスの経営哲学や、DX戦略はどういったものなのでしょうか。
【DX人物列伝】の第2回目となる今回は、DXで世界一へ上り詰めた男・ジェフ・ベゾスの人となりに迫ってみたいと思います。
【DX人物列伝シリーズ】
- オードリー・タン:DXの申し子オードリーはどんな人物なのか?
- ジェフ・ベゾス:DXで世界最大の資産【Amazon】を築いた男(本記事)
目次
ジェフ・ベゾスの略歴
ジェフ・ベゾス。1964年1月12日、ニューメキシコ州アルバカーキ生まれで、フルネームは「ジェフリー・プレストン・ベゾス:Jeffrey Preston Bezos」です。
幼き頃より科学に興味を持ったベゾスは、1986年にアメリカの名門プリンストン大学で電気工学とコンピュータサイエンスの学士を取得しました。
インテル社を始めとする世界的な大手企業からオファーを受けていたにもかかわらず、卒業後は金融決済システムを手掛けるスタートアップ企業【Fitel】に就職しました。Fitelで着実に実績を積み上げたベゾスは、後に開発部門と顧客サービスの責任者を務めるなど、その後のビジネスキャリアの礎を築いていきました。
スタートアップでキャリアを積んだベゾスは、大手金融サービス会社を経て、1990年に新興のヘッジファンド【D.E.ショー】に籍を移します。ここで4年間を過ごしたベゾスは、30歳の時に同社で4人目の副社長に就任しており、この企業でも圧倒的な実力を示していたことがわかります。
そして、D.E.ショー在籍時に、当時話題になっていたインターネット*についての調査を任された事が、彼のその後の運命を決定づけたと言ってよいでしょう。
その調査の過程で「インターネットが急速に普及しつつあること」を知り、これからの時代はインターネットが必要不可欠だと気づいたといいます。そして、インターネットによる物販の可能性を確信したベゾスは、Amazonを立ち上げることを決意したのです。
1993年7月5日、Amazonの前身となる【Cadabra,Inc.】を登記(翌年1月アマゾン・ドット・コムに社名変更)。1995年にはオンライン書店としてのサービスを開始しました。
その後の活躍は良く知られる通りですが、Amazonの大成功に加えて、2000年9月に航空宇宙企業【ブルーオリジン】の設立、2013年8月ワシントンポスト買収など、様々な分野のビジネスに投資しながら、世界最大級の資産家へと登り詰めていきました。
*インターネット(ワールドワイドウェブ:Wold Wide Web)が生まれたのは1989年。その後2000年初期までがインターネット黎明期と考えられている。
AmazonのDXを支える「ハーベストループ」
ベゾスが作り上げたアマゾン・ドット・コム社が運営するAmazonは、今や世界で最も巨大かつ有名なインターネット小売業者であり、またAWS(アマゾン・ウェブ・サービス)は世界最大のクラウド・インフラサービス・プロバイダーとなっています。
しかし、その始まりはベゾスがガレージ内に立ち上げたオンライン書店でした。
前職D.E.ショー在職時にインターネットが持つ無限の可能性に触れたベゾスは、オンラインで物販を展開するための足がかりとして「本」を選びました。
この時ベゾスは、「ブリック・アンド・モルタルの書店(レンガとモルタルで作られた実店舗型の書店の意)では、最大規模の店でも15万種類程度の本しか販売できないけれど、オンライン書店では世の中にある全ての本を取り扱う事が出来る」と考えたのです。
ベゾスの思惑通り、Amazonは立ち上げからわずか1ヶ月で、アメリカの全ての州に加えて世界45ヶ国の人々にオンラインで本を販売するというミッションを達成しました。そこから順調に会社は成長し、1997年には株式公開をするまでに至っています。
しかし、ベゾスは初期の投資家に対して「Amazonが潰れたり、自分が破産したりする可能性は70%ある」と告げていたといいます。それは、順調に成長を続けるAmazonだけでは満足せずに、事業の利益のほとんどを新たなサービス、新たなビジネスモデルに投資し続けていたためです。このように、初期のアマゾン・ドット・コム社はリスクを恐れず、大胆な投資を進めて、自社事業のブランド力を高めることに心血を注いでいました。
ブランド構築が最重要と考えるベゾスの経営スタイルは数字からも読み解くことができます。事業自体は順調に成長していたにもかかわらず、2001年の第4四半期に初めて利益を計上するまで、Amazonはずっと赤字続きだったのです。
しかし、ベゾスには1つの確信がありました。
ベゾスの経営理念そのものとも言えるこの考えは、起業前のベゾスが、レストランで友人たちに自身のビジネスモデルを説明する際に、その場で紙ナプキンに書いたメモに端的に示されています。
この図は「ハーベストループ(あるいはダブルハーベストループ)」と呼ばれるビジネスモデルの図です。
ベゾスは、ユーザーが喜ぶ体験を提供する事がサービスの基本だと考え、それを徹底的に追求すれば自然と顧客が集まりトラフィックが増える。そうなれば売り手(出店業者)が増え商品が充実し、更にユーザーが喜ぶというループが生まれると信じていました。
こうしたユーザー第一主義で考えられた「相互ネットワーク効果」は、一度動き出すと好循環をもたらすループ構造になっており、軌道にのれば勝手を広げていくと言われています。つまり、裏を返せば、ビジネスを発展させていくためには、このループを生み出し、広げていくための起点となるユーザーの趣向の分析が欠かせないということを意味します。
この発想自体はすでに目新しいものではないため、実際に多くの企業がユーザーの趣向を把握するためにビッグデータ・アナリティクスやAIを導入してループを広げていこうとしています。しかし、ベゾスは起業前の段階から、さらにその先を見据えていました。
ベゾスが優れていたのはこのような「相互ネットワーク効果を生み出す」のループの裏側に、もう1つ「徹底したスケールメリットを生み出す」ループを加えて、ダブルループ構造を考えていたところにあります。
1つ目のループによって事業の持続的な成長が生み出され、もう1つのループによって徹底的な低コスト構造を生み出すことで他社に対する競争優位性を保ち続ける。
この2つのループを回し続ければ、ユーザーに対して常に最良の顧客体験を提供し続ける事が出来ると考えたベゾスは、AWSがアマゾン・ドット・コム社の収益に大きく貢献するようになるまでは、ほぼ全ての利益を物流システム改善というDXに再投資し続けていたのです。