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IQ180の天才オードリー
オードリーを語る際によく使われるのは、「IQ180の天才」という呼称でしょう。
多くのメディアが彼女について取り上げる際に、彼女の天才的なIQについて触れる事が多く、自分がそのように呼ばれていることをオードリーも自覚しています。
しかし、その度にオードリーは「IQは身長のようなもの」と、独特のユーモアで返しています。
この考え方は、単に「大人になった今、IQが高いこと自体は何の意味も持たない」という彼女の考え方を表していると同時に、台湾ではIQという指標があまり重視されていない事にも関係しているでしょう。
日本では、子どもの頃から、IQ(知能指数)を高めるための教育が重視されていますが、台湾はむしろEQ(心の知能指数、感じる知性)を大事にしていると言われています。
オードリーはまさに「IQより、EQが重要」と考えており、単に「知能が高い人」ではなく、「心の知能指数が高い方が人生は豊かになる」と考え、そうした生き方を貫いてきました。
IQだけ高くEQがゼロ(に近い)という状態は、まさにロボットのようなものです。
しかし、ロボットには代替不可能な人の営みがあるとオードリーは信じています。「どれだけAIが進歩しても、人々の仕事は無くならない」「AIと人は、活躍するフィールドが違う」というオードリーの考え方は、まさにEQを重視する考え方に基づいています。
IQがどれだけ高くとも、EQが低い人は人としての魅力に欠ける傾向があり、リーダーにはふさわしくないと言われています。
一方で、常にユーモアを忘れず、自由な発想で人々を束ねるオードリーは、IQとEQの両方が高い、理想的なリーダーと言うことが出来るのではないでしょうか。
トランスジェンダーというマイノリティ
オードリーを語る上で欠かす事の出来ないもう一つのエピソードは、彼女が、24歳の時に自らトランスジェンダーであることを公表し、性別を女性に変更した事ではないでしょうか。
セクシャルマイノリティであることは、彼女の人生に大きな影響を与えています。
オードリー自身が「私の脳は私が女性であると認識しているのに、社会的にはそうでないことが要求されるので、私は長年にわたって現実世界を遮断し、ネット上で生活をしてきました。」と語っていたように、特に少年期の頃は戸籍上の性別と心の性別が違うことによって、多くの苦労があったようです。
そのことは、彼女が学校に馴染めずインターネットの世界に興じる理由の1つにもなっていました。
オードリーがトランスジェンダーというマイノリティであったことは、彼女が開発するオープンソフトウェアや、彼女の政治家としての姿勢にも大きな影響を与えているでしょう。
オードリーは、「人と人とを区別する『境界線』など本来は無い」と考えています。
実際に、オードリーは自らが世界初のトランスジェンダー閣僚となることによって、世界中でトランスジェンダーの人たちが直面してきた、政治においてシスジェンダーとトランスジェンダーを区切る境界線を乗り越えました。
彼女は、多数決が原則である民主主義の中にあっても、善良な少数派(マイノリティ)の人々も影響力を持つことの出来る社会システムが必要だと訴え続け、彼女は身をもってそれが可能であることを体現しているのです。
マイノリティの声を政治に届けるというのは、セクシャリティに関することだけではありません。
オードリーは、長きにわたり中国の圧力によって国際社会で不当ともいえる扱いを受けてきた台湾の声を、国際政治のメインストリームに届けようとしています。
その一例が、台湾が長らく認められてこなかった国連への参加です。
オードリーは、デジタル方式での国連会合への参加を実現しました。
これは、台湾という「マイノリティ」の声を世界へ送り届けるための、政治とデジタル技術を組み合わせたオードリーらしい戦い方だといえるでしょう。
枠にとらわれないオードリー・タンという生き方
ここまでご紹介してきたように、オードリー・タンという人物は、我々とは違った「天才」や「鬼才」のように思えるかもしれません。
確かに、彼女は天才と呼ばれるにふさわしいだけの才能を持っています。
しかし、彼女に直接会って話した人々は、口を揃えて『オードリーの一番の魅力はその人柄だ』と語っています。
一見すると、枠に囚われない自由奔放な生き方を続けているように見えるオードリーですが、彼女の本質は包容力豊かでユーモアを愛する飾り気のない人物です。
自由と平等を愛し、政治の世界から人々の生活を変えていこうとするのが「オードリー・タン」という生き方の本質と言えるでしょう。
オードリーはDX推進の本質を、「IT技術によって人を繋ぐこと」と語っているように、すべての人に声を与え、声を持たなかった人に声を与えて参画を促すのが彼女の目的です。
彼女が秀でた才能を持つデジタル分野は、彼女にとってはその目的を実現するための単なる手段に過ぎないのです。
DXを語る上で忘れることが出来ないオードリー・タン。彼女がこれから何をしていくのかはわかりませんが、彼女と同じ時代に生きている以上は、オードリーに驚かされ続けることは間違いないでしょう。
【参考資料】
【オードリー・タンの思考】オードリー・タンの生い立ち(近藤弥生子)